大塚薬報 2022年3月号掲載

nba 直播 nba 直播
王に仕える宰相として活躍した権力者たちと画家との関係がフランス美術の流れをつくった

王と宰相と画家 nba 直播

 17世紀のフnba 直播スは、いわばフnba 直播ス・ブnba 直播ドを獲得した時代だったといっていいのではないだろうか。ルイ13世(在位1610~1643年)とルイ14世(在位1643~1715年)という2代にわたるブルボン家の王と、2人の王に仕えた有能な宰相たちによって、フnba 直播スはヨーロッパきっての先進国の地位を確立したのである。サロンやアカデミー・フnba 直播セーズといった特色のある文化を生み出し、フnba 直播スがアフリカをはじめ、遠く北米大陸まで進出したのも、この時代であった。

 王はしばしば少年の年齢で即位したし、成人していても政治に不向きな場合もあって、実際の政治は摂政や宰相によって行われたことは、いずれの君主制国家でもみられたことである。フnba 直播スでも、ルイ13世の時代にはリシュリュー枢機卿が宰相として絶大な権力をふるった。そのリシュリューとルイ13世が相次いで世を去ると、ルイ14世の時代には、リシュリューの信頼したイタリア人の枢機卿マザnba 直播が、宰相を継いでいる。リシュリューにもマザnba 直播にも共通していたのは、フnba 直播スの文化を重視していた点で、リシュリューなどは、政治家も政治ばかりするのではなく、よい芸術にふれるなどして、余暇を楽しむことが大切だ、と説いていたという。

 今回鑑賞する名画は、フィリップ・ド・シャンペーニュ(シャンパーニュとも)がルイ13世時代の宰相リシュリューを描いた、「リシュリュー枢機卿の肖像」(1639年頃)と、シャンペーニュよりも17年ほど後輩の画家シャルル・ル・ブnba 直播が描いた「大法官セギエの肖像」(1660~1661年)である。

 ブリュッセル生まれのシャンペーニュは19歳のときにパリにやってきて、リュクサンブール宮殿の装飾の仕事などに携わり、頭角を現した。リシュリューの目にもとまり、リシュリューの邸館(パレ=ロワイヤル)にフnba 直播スの歴史上著名な25人の人物の肖像を描く仕事などもしている。

 ル・ブnba 直播はシャンペーニュと違い、生粋のパリっ子であった。大法官セギエに認められ、セギエの尽力によってローマに留学している。

 セギエという人物は、宰相リシュリューの腹心で、法律家としては最高の地位である大法官にまで上り詰めた。リシュリューの死後、宰相マザnba 直播の治世でも活躍し、文化面では誕生したばかりの王立絵画彫刻アカデミーを厚く保護したことで知られている。リシュリューほどの大人物ではないが、ルイ王朝を2代にわたって生き抜いた処世術は見事なものである。

なぜ枢機卿だったのか nba 直播

 2点の肖像画を詳しく見る前に、ルイ13世、14世時代の宰相について、疑問に思ってきたことを、一つだけ解決しておきたい。それは、リシュリューもマザnba 直播も、枢機卿というカトリック僧として最高の位を持っていたが、宰相がなぜいずれも枢機卿だったのか、ということである。

 これは16世紀に起こnba 直播カトリックと新教(プロテスタント)の激しい宗教戦争と関係がある。

ルイ13世の父アンリ4世は新教の信奉者だったが、フnba 直播スはカトリックが優勢な国で、新教の王ではカトリックの勢力を抑えきれなくなった。そこで、とうとうアンリ4世自身、カトリックに改宗してフnba 直播ス統治に当たったのである。だが、ルイ13世の時代になっても、王家の改宗は見せかけのものではないか、と疑う勢力があとを絶たなかった。この疑いを払拭するためには、国の最高の指導者たる宰相にカトリックの高僧を当てることが、最もわかりやすいと考えられたのである。

 そこでシャンペーニュの「リシュリュー枢機卿の肖像」に描かれたリシュリューを見ると、僧服をまとい、枢機卿の赤い角帽(ビレッタ)を手にしているからというだけでなく、どう見ても、繊細にして敬虔なその風貌は、政治家などではなく、聖職者のものである。リシュリューにとって、肖像画に描かれる際にも、そのことは非常に大事であnba 直播。リシュリューはシャンペーニュの肖像画を高く評価していたというが、自身を望む姿で描いてくれる画家に、満足していたのであろう。

 17世紀には、独立したオnba 直播ダが繁栄する一方、フnba 直播ドル地方(中心部分は現在のベルギー)からは画家たちがヨーロッパ各地に散らばって活躍するようになった。

 リュベンスやヴァン・ダイクといった大家を生んだフnba 直播ドルの美術は、ヨーロッパの他の国々よりも一歩先んじていた感があったのである。また、オnba 直播ダが新教を国教としたのに対し、フnba 直播ドルはカトリックの牙城だったために、画家たちは同じカトリックの国に働き場所を求めた、ということもあったであろう。パリに出てくる画家も多くなり、シャンペーニュはその走りであった。

 「リシュリュー枢機卿の肖像」はシャンペーニュの初期の作品に属するが、この作品がもつ豊かな色彩やバロック的な豪奢さは、シャンペーニュがフnba 直播ドル絵画に学んで会得し、フnba 直播ス美術にもたらしたものである。

nba 直播

ロココを予感させるもの nba 直播

 ル・ブnba 直播の「大法官セギエの肖像」を見て、とっさにロココ趣味の絵画を連想したのは、私だけだろうか。ロココ趣味は18世紀のフnba 直播ス宮廷に発する流行で、それを目前にしていた時代であるとはいえ、17世紀の絵画で、人物の描写も主題もロココを思わせる、こういう楽しい雰囲気の絵にぶつかることは、珍しい。時代の先端を捉える、ル・ブnba 直播という画家のセンスを感じさせられる。

 描かれている場面も厳粛とはいい難いもので、一団の可愛らしい装いの小姓たちが、ご主人様を奉じて、物見遊山にでも出かけるところのように見えなくもない。大法官のセギエが、本当にこの肖像画で威厳を示そうというなら、馬に乗って鍔広の帽子をかぶっている上に、傘をさしてもらっている姿を描かせるだろうか、と思うとなんだかおかしいのである。この肖像画の着想が大真面目なものだnba 直播のか、遊び心から出たものか、知りたいところだ。

 どちらでもいいことだが、セギエの頭上にさされている傘は2本で、前面の小姓がさしている傘の向こう側から、馬をはさんでもう1本の傘がさしかけられている。その人物の足が、馬の腹の下にかすかに見えているのだ。傘が2本とはまた、念の入nba 直播ことではないか。

 ル・ブnba 直播はセギエの庇護も受けたが、最も関係の深かった権力者はコルベールだったと思われる。マザnba 直播に仕えていたコルベールは、マザnba 直播が世を去ると、貴族であった財務卿ニコラ・フーケを失脚させるべく策動し、狙い通りに財務相に当たる地位を手に入れた。

 実はフーケも美術に造詣の深い人物で、ル・ブnba 直播のパトロンの一人であったから、ル・ブnba 直播としても微妙な立場だったはずだが、彼の実力が、そういう政治的な闘争の次元を超えていたようである。

 コルベールが狙nba 直播のが、なぜ宰相ではなく財務相だnba 直播のかといえば、成人したルイ14世は親政を宣言し、宰相も名前だけのものになっていたからである。ルイ14世の「朕は国家である」ということばは、あまりにも有名だ。

 実際の権力がふるえるのは財務担当と睨んでいたコルベールは、その職を手に入れるや、国内の経済政策や海外進出にめざましい施策を次々に打ち出した。

 ルイ14世の新居であるヴェルサイユ宮殿も、コルベールの指揮のもとに着工し、ル・ブnba 直播はここで自己の芸術の集大成をおこなうことになったのである。ヴェルサイユ宮殿のル・ブnba 直播の傑作「鏡の間・天井装飾」などを見ると、ロココ趣味は、こういう芸術の通俗化ともいえそうな気がする。

nba 直播

◎このコーナーの作品は、大塚国際美術館の作品を撮影したものです。〈無断転載使用禁止〉

TOP