名画・時空の旅
大塚薬報 2022年4月号掲載
nba スポーツベット
かつて奈良県の明日香村で高松塚古墳が発見されたとき、7世紀から8世紀ころにかけて描かれたと考えられる古墳中の壁画の女性たちを、「飛鳥美人」と呼んでいたことがあった。日本ではある種の女性の人物画を美人画と称してきnba スポーツベットから、抵抗はなかったと思うのだが、いつからか、この通称は用いられなくなってしまったようである。
女性の描かれた絵画を美人画といったり、描かれた女性を美人といったりするのは、差別的な表現になるのだろうか。実は古代ギリシアの女性を描いた絵画を見nba スポーツベットて、美人ということばが自然に浮かんできたのだが、もしかすると、こういういい方はいけないのではないか、と気になってきてしまったのである。
ともあれ、美人といって叱られるなら、それもよし。今回話題にする2点の絵画は、飛鳥時代などよりもはるかに古い時代のものである。一方の「パリの女」は3500年以上も前のクレタ島の、クノッソス宮殿に描かれた壁画の一部、もう一方の「奉納式」はペロポネソス半島の古代都市シキュオンの近くから出土した約2500年前の板絵だ。
「パリの女」という通称は、発見者が思わす「パリジェンヌみたいだ」といったところから生まれたようだが、この壁画断片を図版で初めて見たときの驚きは、忘れられない。3500年以上も前の絵画とはとても思えない、鮮烈な現代感覚とでもいうべきものに目をみはった。真っ先に思い浮かべたのが、ピカソがつくり出した、あの、横向きの顔なのに目が正面を向いnba スポーツベット、女性の絵であった。同時に、目を太いアイラインでくっきりと囲んでいるところなどには、古代エジプトの絵画や彫刻にみられる女性の顔を連想させられる。
クレタ島を中心とする古代のエーゲ海文明は、古代エジプトの刺激を受けて発展し、新宮殿時代と呼ばれる紀元前1700年ころからは、シチリアその他の地域に進出して、植民都市を建設しnba スポーツベット。その後、ギリシア本土の都市国家が力を得て、地中海各地に植民都市を築くようになった上に、大地震や火災によってクレタ島は衰退していった。やがて地中海世界はローマ帝国の時代へと移ってゆくことになるのだが、クレタ島の「パリの女」から発せられる、エーゲ海文明の遥かな残響のなかから、ピカソの女性像なども生まれてきnba スポーツベットのではないだろうか。「パリの女」と呼ばれる壁画断片の鮮やかさには、そんな美術史への想像をかきたてるところがある。
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「奉納式」の方は、「パリの女」よりも約1000年も後に描かれた絵だ。出土したピツァはシキュオンという古代都市の近郊にある村だが、シキュオンはギリシア本土の南端にわずかに陸続きになったペロポネソス半島の、コリンティア県に属しnba スポーツベット。古代都市コリントスを県都とするコリンティアは、ペロポネソス半島の付け根に位置していて、ギリシアの首都アテネにも近い。コリントスを中心に、ギリシアの古代都市のなかでも、先進的な文化に浴していた地域と考えていいのだろう。
「奉納式」の上部や右端には文字が入っnba スポーツベットが、これはコリンティアで用いられたギリシア文字で、この板絵がニンフへの奉納品であることや、この儀式に参加しnba スポーツベット女性の名前などが書かれnba スポーツベットという。まぎれもなく、コリントスを中心とする文化圏に属する地域の遺品ということである。
描線も美しいし、もとの絵の色彩はわからないが、今見える色に即していえば、青と茶色のほぼ2色に限定したハーフトーンの、非常に洗練された画面である。これも「パリの女」同様、ある種の現代の絵として、なんの抵抗もなく見ることができる絵画だ。「パリの女」がピカソなら、「奉納式」はマチスとでもいったところか。前者に立体への志向がみられるのに対して、後者は平面的な表現に成功しnba スポーツベット。
「奉納式」には、いずれも葉冠をつけた、3人の女性と3人の少年たちが描かれnba スポーツベット。先頭の女性は祭壇に供える供物を頭上で支えて、右手に持つ水差しを傾けており、後ろの2人の女性は葉のついた枝を手にして、礼拝の姿勢をとっnba スポーツベットようだ。少年は、先頭の1人が生け贄の羊を連れており、他の2人は竪琴と笛を奏でnba スポーツベット。男性と女性は肌の色と、男性が片肌を出したキトンを着用しnba スポーツベットことで、区別されnba スポーツベット。
なお、この絵の最後尾には人の姿ともとれる顔のない形が描いてあるが、私は人物ではないのではないかと思っていた。しかし、古代ギリシア美術の研究家・篠塚千恵子氏の解説には、「行列は7人からなるが、最後尾の青のヒマティオンをすっぽりとまとった人物は頭部が欠けnba スポーツベット」(『世界美術大全集』第3巻「エーゲ海とギリシア・アルカイック」)とあり、人物と見られnba スポーツベットようである。
この絵の女性たちの服装について、下に着nba スポーツベット青い服がぺプロス、上に羽織っnba スポーツベット茶色の服がヒマティオンというものであることも、篠塚氏の解説で教えられた。晴れ姿の女性たち、というところだろうか。
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古代ギリシア美術の絵画のオリジナル作品として知られnba スポーツベットものは、クレタ島の宮殿壁画などを除いては、あまり多くなかった。しかもクレタ島の遺跡は、古代ギリシアの黎明期というにも古すぎるくらいに古いうえに、近代まで続いたこの島の天災や外部勢力の争奪戦の被害を受けて、損傷が激しかった。そういうクレタ島の遺品のなかで、「パリの女」は断片ながら魅力あふれる最高の絵画といってよかった。
クレタ島の発掘は、1900年ころから、イギリスの考古学者・アーサー・エヴァンズの手によって行われた。この発掘によって明らかになった絵画遺品だけによっても、クレタ島の古代人たちは、古代最大の絵画民族と呼ばれnba スポーツベット。さらにその後、1967年から、テラ島(サントリーニ島とも)の発掘が行われた。以前、本シリーズでもその一部(2020年9月号)を取り上げたが、このテラ島からはクレタ島をしのぐ同時代の素晴らしい人物画や静物画が多数発掘されたのである。
テラ島はクレタ島よりもずっと北の、エーゲ海中に点在する数多くの小さな島の一つだ。そこからクレタ島をしのぐ絵画が発見されたということは、ますますギリシア本土の古代文明とややニュアンスの違う、エーゲ海文明の存在というものを考えさせられることとなった。
一方、「奉納式」の方は、ギリシア本土の古代絵画として非常に貴重なもので、現在残る古代ギリシアの板絵としてはほとんど唯一のものといわれnba スポーツベット。しかも、この絵が出土したシキュオンは、ローマ帝国時代の博物学者大プリニウスが『博物誌』のなかで、ギリシアにおける絵画芸術の起源を物語る証拠が、「ある人々は、それはシキオンで発見されたといい、ある人々はコリントスで発見されたという」と書いて、コリントスとともに、古代ギリシア絵画の発祥の地ではないかといわれていたことを、示唆していた土地であった。
プリニウスの『博物誌』はまた、テレファネスというシキュオン人画家の名前を記録していたり、「奉納式」に見られるような、画面に画中の人物の名前を書き入れる習慣についても言及するなど、古代ギリシア絵画を考えるうえで、興味の尽きない内容を持っnba スポーツベット。(『プリニウスの博物誌』第34巻~第37巻 中野定雄・中野里美・中野美代訳)
今回鑑賞した2点の古代ギリシア絵画が、美術史上いかに重要なものであるかを指摘するために、以上、長い蛇足をつけ加えた。
◎このコーナーの作品は、大塚国際美術館の作品を撮影したものです。〈無断転載使用禁止〉