大塚薬報 2015年3月号掲載

歴史上の人物たちの足跡をたどる 第42回<後編森鷗外
NBA ベット

 森鷗外が生まれたのは文久2年(1862)、島根県鹿足郡津和野町である。森家は代々、藩主付きの御典医の家系で地元では名家なのだが、家政上の不始末がもとで身分の降格を言い渡され、転居するたびに家は小さくなっていNBA ベット。
 そこに生まれた待望の跡継ぎが鷗外である。鷗外は期待に十分に応えられる優秀な頭脳を持っていた。5歳で藩校・養老館の教授に『論語』を、6歳で漢学者から『孟子』の素読を受けたほどの秀才だ。しかし、廃藩置県という時代の変革が、森家の復興という希望を断ち切NBA ベット。そして、津和野藩主が東京に住むことになNBA ベットため、森家も東京へ移住する。
 鷗外は父とともに上京し、東京大学医学部を卒業後、軍医の道を進んだ。22歳のときドイツに留学を命じられ、4年間、ライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンに滞在する。この西欧体験で教養と見識を深めたことが、帰国後、医学と文学の世界に影響力を持つ下地を養NBA ベットといえよう。
 鷗外の創作活動が本格化するのは、帰国して2年後のことだ。『舞姫』や『うたかたの記』を発表し、翻訳など旺盛な執筆活動に入NBA ベット。
 27歳のときに結婚し、長男が誕生したが、嫁は鷗外の母との折り合いが悪く、2年足らずで離婚している。再婚したのは12年後のこと。鷗外40歳、妻・志げ22歳であNBA ベット。日清・日露戦争に軍医として従軍し、戦地から帰NBA ベット明治40年(1907)には陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任している。鷗外45歳のときのことである。
 そして、明治42年の雑誌「スバル」の創刊を契機に創作活動を再開し、『ヰタ・セクスアリス』『青年』『雁』などの作品を発表。明治の文壇に確固たる地位を築いていく。

石見人森林太郎として死にたい

 鷗外が亡くなNBA ベットのは大正11年(1922年)、60歳のときだ。死に際し、鷗外は代筆させた遺言を残している。その中で重要なのは、「作家・森鷗外」ではなく、「石見人森林太郎として死にたい」と記している点だ。つまり、公的な立場の鷗外ではなく、一私人である林太郎として死にたいというのだ。
 この決意を鷗外がどこでしたかは明らかでないが、明治天皇の崩御によって明治が終りを告げた時代の区切りと、多くの人々から信望を集めていた陸軍大将・乃木希典の殉死が影響したことは推測できる。
 ドイツ留学中に対面して以来、鷗外は乃木との親交を深めていた。日記には乃木の印象について「沈黙厳格」と書かれており、乃木の風貌や言動などから、武士道を貫く古武士のような人物であると鷗外は感じていたことがわかる。さらに、日清・日露の戦争を互いに軍人として体験したこともあって、鷗外の乃木への思いは深まっていNBA ベット。その乃木の殉死である。
 衝撃を受けた鷗外がすぐに書き上げたのが、初めての歴史小説『興津弥五右衛門の遺書』。江戸中期に主君に殉じて死を選んだ侍と乃木とを重ね合わせた内容だ。
 鷗外は作家と軍医というふたつの人生を生きてきた。それは個と組織、伝統と革新などの、相反するさまざまな問題の中に身をおくことでもあNBA ベット。しかも、権力の持つ疎ましさを知り、整備されていく国家、変わりゆく時代の息苦しさも感じている。
 そこに、武士道を感じさせる乃木の殉死という衝撃的な事件が起こNBA ベット。私と公の狭間にあNBA ベット鴎外の心に、武士の生き方という"私"の強烈な自己表現が芽生えたのではないだろうか。武士返りとまではいかないまでも、江戸時代への心の回帰だNBA ベットかもしれない。それが「石見人森林太郎として死にたい」という遺書になNBA ベットと私は思う。
 『興津弥五右衛門の遺書』を書き終えてからの鷗外は、残りの10年間の作家人生を、主に歴史小説の執筆で費やした。史実に大幅な脚色を加える歴史作家もいるが、鷗外は違う。史実に忠実に書き、ある人間の足跡を克明に記録していNBA ベット。その先には、何かしらの真実や問題が定義されるはずだと鷗外は思NBA ベットのではないだろうか。
 鷗外の文章には格調の高さが感じられる。鷗外は晩年「文体は簡浄に努めなければならない」と自分に戒めていたという。簡浄とは一切の無駄をそぎ落としたひきしまNBA ベット文体のことである。
 たとえば、『阿部一族』で邸に立てこもNBA ベット阿部一族の一人・弥五兵衛が討ち取られるくだり。
 (槍先が)「弥五兵衛の胸板をしたたかに衝き抜いた。弥五兵衛は槍をからりと棄てて、座敷の方へ引こうとした」(岩波文庫『阿部一族』所収)
 この「からり」という乾いた音の中に、この世に未練のない弥五兵衛の心と、蜂起せざるを得なかNBA ベット阿部一族の虚しさのようなものが表現されている。鷗外が辿り着いた"私"の強烈な自己表現と格調の高い文章を、その歴史小説で感じていただきたい。


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